きままなアラカルト

新しい恋に会いに行こう

風 is I ?と菊池風磨のアイドル性

私は、私の生きられなかった人生を生きている人に憧れる。
菊池風磨もそのひとりだ。


そもそも、私が女で生まれた時点でまず風磨くんのようないかにも「THE男子」なノリは叶わないことだし、恐らく心も体も女に分類されるであろう私には無い感覚だから、別の生き物に見える。
とはいえ同級生に風磨くんのような男子が居たら怖いし近づかないけどwステージだからこそ、芸能人という別世界の住人だからこそ、眩しく、憧れているのだと思う。


去年の夏は風磨くんに対して「私の生きられなかった人生を生きている人」なんだと再認識した夏だった。
女の子だったらこんな公演になるだろうか?
女には無い感覚だなあって思ったのだ。
仲間との友情や愛情、関係性を女の私はそんな風には描けないと思った。
いくら男女平等とはいえ、男にわからない女の感覚があるように、女にもわからない男の感覚があると私は思っているし、そんな男特有の感性、男の世界というものを去年の風 is I ?からまざまざと感じました。
男の子だなあって感じたし、男の子の世界を少しだけ覗けたようで楽しくもありました。


風磨くんはキラキラ王子様アイドル性はないのだけれど、抜群にアイドル性の高さがある。
それは危うさと儚さだ。
格好つけで乱暴な言葉遣いをすることが多くて少年の様に自由に笑う、その辺に居そうな男の子なんだけれど、格好をつけることに自己犠牲も厭わない本物の格好つけだからヒヤヒヤさせられるし、たまに見せる寂しそうな瞳には、どこかへ消えてしまいそうな儚さがあって目が離せない。
菊池風磨は危うさと儚さのアイドル性が抜群に高いと私は思っている。


だから、開演直後に12歳で風磨が死んだことを宣告され22歳になった風磨が1日だけ甦るというぶっ飛んだ内容も、SexyZoneで風磨がデビューしていなかったら・・・というIFを抜きにしても、菊池風磨がやるからこそ成立した物語性だったと思っています。


私が風 is I ?公演を映像で見直していて、彼の燃え盛る命のほとばしり、命が削れていく様を感じたのは、『リリック』『喜びの歌』。
見る度、私は彼の不完全さと美しさと苦しさに、自然と涙がこぼれてしまうほどに心打たれてしまう。


『リリック』は、若さの爆発。
伝えたいのに全てを伝えきれないもどかしさと、悲痛な歌声が苦しい。
「明日も君に会えると願う 人はそれを愛と呼ぶのかな」
ストレートに愛を表現しないところがぴったりと風磨と重って見える。

続く『喜びの歌』では、「愛してる」なんて柄にもない言葉を繰り返す姿が、観念したようで、諦めたようで、悟ったようでこの上なく寂しい。

最後は穏やかに仲間へ自分にはない「明日」を贈り、自分のことは忘れてくれって最後の最後に格好つける。
かと思えば、再びアンコールで名前を呼ばれて出てくるときはお祭りみたいに騒いでいる。


本当に本当に風磨くんは男の子だ。
清々しいほどにまで男の子だ。
本当に眩しい。
生意気で、格好つけで、何となくいけすかないと思っていたのに、情に厚い義理堅さ、信じた道を貫く強さと危うさ、寂しそうに揺れる瞳や、少年の様な人懐っこい笑顔に気づいたら可愛く思えている。

そんな女の子が描いたかのような「男の子」性があるから風磨くんはアイドルなんだろうな。