きままなアラカルト

きみと追いかけてゆける風が好きだよ

1週間経って

前回の記事でストップしてしまうのはどうなんだろう。。。と思ったのでここ数日の振り返りを。


動画を見た時点では案外平気かもと思っていたのに、布団に入ってひとりになったら自然と涙がこぼれてなかなか眠れなくて、翌朝通勤電車でSexy Zoneの曲を避けても耳の流れてくる歌詞からSexy Zoneを連想して涙がこぼれたりして。
翌日にはブログの下書きを書くうちに頭が整理されていき、どうしようもないじゃん、決定事項は変えられないしと、気絶するように眠る体に従って割り切れてしまっていた。
どこのグループでも、もし脱退者が出るならフロントメンバーであることは定石だと冷めた心があったからだと思う。


自分の気持ちが整理できつつあるなか、3人もインスタを始めた急展開に初めはフォローするだけで気持ちが付いていけなかったけれど、覗いてみたら勝利くんは可愛いとか恰好良いとかを超越した美!!!な写真をあげていて、聡ちゃんはジェンダーレスおしゃれ可愛いインスタグラマーという感じで、風磨くんの質問返し祭りにはやっぱりこの人は頭良くておもしろいなーと笑って。
逸材だなーってなぜか私が誇らしく思ったりして。
テレビで見るテンポ良い会話の切替しもおもしろいし上手いな~と感心するんだけど、文字になってもおもしろいって根本的におもしろいんだと思う(←妙な日本語)。
しかもそのおもしろさは誰も傷つけないカラッとした笑いで気持ちいい。
そのうえ受験生が勉強に身が入らないと言えば嫌味なく諭してて、国民的おにいちゃん。


端から見たら一昨日はこの世の終わりの顔をしていたファンが、翌日にはインスタにぎゃあぎゃあ騒いでるのはファン、本人ともども空元気で痛々しいと思われていたのかもしれないけど、そういう人だったと思い出す。
別れを惜しむのではなくて、後悔が無いよう目一杯遊び切ろうとする人だったなと。
周りへ向ける優しさと寂しい自分自身のためにも周囲を巻き込んで遊び出すことに救われてる人がたくさんいて、更に今では陽気なキャラクターを確立させているのも功を奏している。
寂しい気持ちは決して寂しい寂しいと言うのではなくて別のベクトルに向けることができるし、決して自分の気持ちを蔑ろにせず大切にすることができる。


そんな時決まって思い出すのが、Sexy Zone24時間テレビパーソナリティを務めケンティーが出演したドラマ「ヒーローを作った男 石ノ森章太郎物語』で出てきたセリフ、「人は悲しみの感情を持ったまま、笑うこともできる」を思い出す。
2年前のマリウス卒業のときにもこの言葉を思い出した。
卒業発表から数日間、本人たちもファンも悲しいままたくさん笑った日々でした。


離れ離れになるのは悲しいけれど、目に見えないかけがえのないものを見せてくれたのがSexy Zoneだったなと思い出す。
一般的な正解ではない自分たちのオリジナルの答えに向かって、自分を信じることと同じくらいファンを信じ、途中で離れていくファンもいるけれど、それでも最後には誰も辿り着けなかった場所で咲き誇った2年前の冬、奇跡みたいに美しい5人のSexy Zoneを思い出す。


物分かり良く居られる自分と目に見える形で傍に居てほしかった自分も同じ自分であることを認め、割り切れないまま日々を過ごしていってもいいんだと思う。
それにうだうだ言っていても私たちが選択できることは、これから出されるものにお金や時間を捻出できるか、できないのかという現実しかないのだと思う。
ファンが限られたお金や時間を捻出する理由の筆頭として「応援する気持ち」が大きな比重を占めるものの、とはいえ気持ちだけで応援できるものではないのがアイドルとファンの関係だと私は考えているので。


私自身、これから今までのように応援できるのか不透明なので、自分が付いていけるといいなとぼんやり願っています。
こればっかりは4/1以降になってみないと何もわからない!!と匙を投げています。
どうなっていくんでしょうね~。